私の過去と現在
- By: Office-higashi
- カテゴリー: コラム
1 生家と環境
生家は小林市眞方一区向江馬場で人家は26戸だった。小林駅から北へ2km行った農村である。といっても部落には収納米2000俵も採る大地主も在り、分限者(金持ち)か自作農の人が殆んどで、我が家の様な小作人(でも田畑3町歩耕作していた)は少なかった。
部落の概要は、近くに三山城という山城があり周囲を大手川と水の手川が流れ、本当に山紫水明な土地柄でこよなく遊んだものだ。田畑、山は1km以上離れていて特に薪取りには子供達とよく行ったもんだ。
田畑約5反歩、山を貰い農業もしていたが殆んど葉子が子供を養いつつ働き、自分は日曜日に働くぐらいだった。
2 家
家族は両親と、兄2人、姉2人、弟2人、妹3人それに私と10人兄弟の大家族であった。当時は概ね家族が多かった。でも今は、長兄は戦死、次兄は病死、2人の姉も病死、妹1人も病死していて、生存するのは私とチエとフジ子の三人のみとなった。小生も88歳となり各所から長寿の祝辞を受け感謝している。ここで向江馬場の生家の居住を記す。部屋は座敷の間があり、そこに囲炉裏があり煮炊きや焼物をしていた。奥の間といっても床やタンス、長持ちがあった。土間には土で作ったカマドがあり、食事の為の飯を炊いていた。家畜は馬2頭、牛1頭がいて農作業に使っていた。時に馬に乗り馬場を乗り回すのが楽しかった。
3 小林尋常高等小学校時代
小学校1年に入学するとき、チャンチャンコの着物に裸足だったか、本は風呂敷ではなかったかと思う。記憶にない。靴を履いたのは何年生だったか、ゴム靴で足の皮がむしれて痛かったのを覚えてる。あえて書くとかつての中国(今は世界の2等国)やインド(相当進歩している)に等しく、発展途上国と同様だったような気がする。
高等科を卒業して小林市通町の吉村金物店に丁稚小僧として就職する。当時は就職については親父と先生そして相手側が取り決め成立。(本人は何も知らない)
この頃の奉公人は朝5時に起床、店の掃除、夜は夕食後10時まで店番だった。いつ頃だったか記憶に無いが当時は奉公人も青年学校の夜間に1ヶ月に何回か行かねばならぬ義務があった。その中で小林郵便局に行く高等小学校時代の小園君という同窓生がいて、その人が熊本逓信講習所の入学試験があるというので川路君(同窓生)と3人受験することになり、川路君と私が合格した。同時に吉村金物店も辞めた。26人に1人という難しい学園であった。小林小学校では田村さん(学級長をしていた)の後、私たち2人のみであると思う。これも高等科時代、朝早く起きて1番に学校に到着することに心掛け、吉村金物店での自由時間に勉学に励んだ賜物と思う。
4 熊本逓信講習所時代とその後
昭和15年1月15日熊本逓信講習所の普通科に入学した。1年間の楽しく思い出深い学業を経て勇躍、都城郵便局電信係に就職する。この時分太平洋戦争の前だったが、物資も不足がちで、お菓子屋さん、飲食店も物が不足していたような気がする。
17年4月1日、兄2人が兵役のため出征したのでそれをカバーする面もあり、19年6月15日同局を退職、小林郵便局へ転勤。
兵隊検査の結果、航空兵第一補充兵であったので、栗屋富男さん(航空士官学校出身)の紹介で新田原航空通信所に勤務することとなる。
20年10月19日敗戦のため、福岡県雁ノ巣通信所を解雇される。21年11月10日、熊本逓信講習所高等部に入学、1年経過して小林郵便局に配属される。その後、宮崎電報電話局(係長)、宮崎電気通信部(係長)、小林報話局(課長)、福岡中央電報局(配達課長)、宮崎報話局(主幹)そして昭和54年4月6日めでたく退職。
昭和58年4月10日、財団法人宮崎身体障害者福祉協会常務を拝す。
昭和60年6月1日、(有)日本医療機器センター(管理課長)。
5 旅行
①国内
概ね行っていると思うが、過去の記録を基に方面別、時系列的に記述する。
九州方面
A.熊本逓信講習所同窓会
普通部 概ね毎年実施している(22年9月7日解散)
県別:福岡4回、宮崎4回、鹿児島2回、熊本10回、大分1回、兵庫1回
高等部 全体で6回(20年10月29日解散)
*参加してない時もある。
同窓会
平成7年10月28日 | 鹿児島桜島 |
昭和62年8月8日 | 熊本貯金会館 |
昭和57年8月7日 | 熊本菊池温泉 |
平成10年10月27日 | 熊本県玉名市 |
平成9年11月13日 | 宮崎県高千穂町 |
平成3年10月19日 | 宮崎ひまわり荘 |
平成11年11月27日 | 熊本市 学園訪問 |
平成11年10月13日 | 大分県日出町 |
平成3年8月7日 | 鹿児島市 |
平成4年10月9日 | 福岡市 |
平成15年10月17日 | 宮崎市 青島ビーチホテル |
平成16年10月11日 | 福岡県門司市 |
平成17年9月26日 | 福岡県芦屋町 |
平成18年10月30日 | 兵庫県有馬温泉 フジ子宅 甲子園 |
平成18年11月7日 | 宮崎市 青島ビーチホテル |
平成19年9月13日 | 熊本県阿蘇町 |
平成21年9月8日 | 福岡県 原鶴温泉 |
平成20年9月7日 | 熊本県 |
平成20年10月30日 | 宮崎市厚生年金会館 |
平成22年9月7日 | 熊本市KKRホテル |
平成20年10月29日 | 熊本市チサンホテル |
B.家族旅行
平成2年3月27~4月3日 沖縄旅行
(光次、由紀、憲介、剛正、曉文の5人で春休みを利用しての1週間の旅行)
3月27日 | 宮崎駅発~鹿児島市内見物~鹿児島港発~徳之島~沖永良部 島~与論島~26時間後那覇港に着く。 |
3月28日 | 那覇市内見物 |
3月29日 | 市内見物(浦添市で例のエスカルゴを注文) |
3月30日 | 那覇空港~宮古島(海水浴、釣りなどして過ごす。 ここでは日本そばがうどんであった。) |
4月1日 | 平良港から連絡船に乗り西表島へ。港で自転車をリース。目的地のビーチへ向かう。道すがら農夫がサトウキビを刈っていたので貰い受ける。海水浴や釣りをして過ごす。港から石垣島に帰る。船の中で剛正が他人の希望に応えてサトウキビを1本プレゼントする。 |
4月2日 | ジェットの快速船で竹富島へ 観光用牛車に乗り、サンゴ石炭岩の石垣に亜熱帯の花が咲く道をゆっくり散策。海岸がすばらしかった |
4月3日 | 石垣空港~那覇空港経由(約70分)宮崎空港着 *1日余裕があったのに、日本の最南端与那国島まで行かなかったことが悔やまれる。 |
平成2年7月20日 | 南蛮平戸グルメ旅行(バス)宮交シティ~長洲港(熊本県)~諌早~伊万里~平戸(宿) |
7月21日 | 平戸港~九十九島めぐり~有田~嬉野~宮崎 |
平成2年12月1日 | 高千穂町(天の岩戸~夜神楽~高千穂峡見学)夫婦 |
平成3年11月10日~12日 | 伊勢志摩・南紀全周 宮崎空港~大阪空港~堺市~白浜温泉(宿)~潮岬海中公園~那智の滝~二見が浦~鳥羽(宿)~伊勢神宮~松坂~伊賀上野忍者屋敷~大阪空港~宮崎(宮交) |
平成6年6月2日 | 南郷亜熱帯作物支場 油津町の町並み散策(名所旧跡) |
平成11年2月6日~9日 | 宮崎空港~羽田空港~釧路空港~阿寒湖(宿)~網走監獄博物館~砕氷船~温根湯温泉(宿)~北キツネ牧場~旭川~札幌(宿)~羊が丘展望台~千歳空港~羽田空港~宮崎 * 印象に残るのは、朝から食事にカニが出たことと流氷見物がメインだったのに見られなっかたこと。それに刑務所遺跡。(宮交) |
平成11年11月2日 | 京都、比叡山、びわ湖畔、舞鶴、天の橋立、丹後の里の旅(憲介が京都工芸繊維大学在学中夫婦と朱実と3人) 宮崎空港~大阪空港~京都(憲介が駅まで迎えに来た)~自宅訪問~三千院~びわ湖畔のホテル~比叡山(延暦寺)~びわ湖畔北上、敦賀、舞鶴(赤レンガの建物見学)、岸壁の母で有名な舞鶴の桟橋、引き揚げ記念館、ソ連抑留者の生活模様等も見学)~天橋立~丹後の里(みやげ物を買う)~ホテル~京都御所(広大で実に印象深かった)~京都駅~大阪空港~宮崎 |
平成12年4月3日~6日 | 第33回姉妹都市橿原親善訪問ツアー(宮崎市) 宮崎空港~伊丹空港~大阪城~橿原神社~上野市(伊賀流忍者博物館)~名古屋城、熱田神社(宿)~関ヶ原町(歴史資料館)~明石海峡大橋(宿)~大阪市内(吉本新喜劇観賞)~伊丹~宮崎 |
平成13年7月16日~18日 | 宮崎~鳥取空港~関志園(鳥取県)~水木しげるロード~西郷港~隠岐島(宿)~玉若酢命神社~隠岐自然館(宿)~日御碕灯台~出雲大社~伊丹~宮崎(宮交) |
平成13年10月7日~10日 | 四国全周まるごとめぐり(中西福寿会) 宮崎~伊丹~しまなみ海道~今治~道後温泉(宿)~石手寺~瀬戸大橋~かずら橋~大歩危~丸亀(宿)~金比羅参詣~徳島~鳴門公園~明石海峡~神戸~大阪~宮崎 |
平成13年11月6日~7日 | 雲仙温泉 宮崎(宮交バス)~三角港~島原城~温泉(宿)~雲仙地獄~仁田峠~島原港~熊本港~宮崎(NTT) |
平成14年10月31日~11月1日 | 串木野~枕崎~知覧の旅 宮崎(宮交バス)~鹿児島~串木野~池田湖~指宿温泉(宿)~枕崎~知覧~鹿児島空港~宮崎(NTT) |
平成16年4月3日~6日 | 橿原神社(宮崎市) 宮崎~伊丹空港~橿原神社~市内見学(宿)~吉野山~上野市~鳥羽(宿)~二見が浦~法隆寺~六甲山~有馬温泉~(宿)~京都(西本願寺、壬生寺外)~清水寺~(宿)~円山公園~伊丹~宮崎 |
平成16年10月16日~17日 | 飫肥城下まつり(夫婦) 宮崎(電車)~飫肥のまつり見物。名所旧跡、有名な太平踊り等満喫。 |
平成19年3月26日 | 熊本県山鹿市灯篭観光(NTT) |
平成20年3月22日~24日 | 水戸市偕楽園外(下村、富永、山田、綿引の一家) 宮崎空港~羽田空港、堀尾一家が待っており10人乗りの車で~偕楽園(宿)~23日市内観光(徳川家の財宝等)隆さんの一家と懇親会(昼食をご馳走になる)~西山荘(光圀公の住居跡)~袋田の滝~(三段の滝)~水戸市内(宿)~羽田~宮崎 |
平成20年6月3日~4日 | 吉野ヶ里遺跡(家族旅行) 8人乗りレンタカーで観光(下村、富永、山田一家) 宮崎~吉野ヶ里遺跡~嬉の温泉(宿)~祐徳稲荷=熊本城(新しく出来た本丸御殿を見学)~宮崎 |
平成20年8月20日 | 九州国立博物館(島津の国宝、篤姫の時代展) 吉郎さんの車で観光(下村、富永、山田家) 宮崎~九州国立博物館~太宰府天満宮観光~宮崎 |
平成21年4月5日 | 湯布院と九重夢大吊り橋(NTT) 貸し切りバスで一路10号線を北上 宮崎~延岡~竹田市(岡城跡)~湯布院~九重高原~九重夢大吊り橋~臼杵石仏群~宮崎 |
平成21年10月29日~31日 | 直江兼継ゆかりの地金沢、若松を訪ねて(NTT) 宮崎空港~羽田空港~貸し切りバスで郡山(宿)~猪苗代湖~会津若松城~東山温泉(宿)~30日上杉神社(米沢市)~直江兼継と上杉家の跡~立石寺~蔵王温泉(蔵王へのケーブルの麓)(宿)~31日蔵王お釜(ケーブル)~弥次郎こけし村~磐梯山付近~羽田~宮崎 |
平成22年2月23日 | 長崎ランタンフェスティバル、龍馬伝を訪ねて 宮崎駅東口~貸し切りバス~武雄温泉~物産館~大浦天主堂~グラバー園~稲佐山観光ホテル(宿)~長崎ランタンフェスティバル会場、夜龍踊り~ホテル~長崎歴史博物館、龍馬伝館~平和記念公園~和泉屋本店~宮崎 |
平成22年5月8日~10日 | 下関市、長府町を訪ねて(下村、富永、山田) 宮崎~折尾、・夕方から東藤三夫妻来て夜食をともにする ~山田家(宿)~毛利邸、高杉晋作像を見物~山田家(宿) ~奈緒美宅訪問~福岡空港~宮崎 |
C 身体障害者協会、傷痍軍人会、その他
①身体障害者協会
常務理事をしているとき、何回か全国大会に参加しているが記録に無いので記憶する分を記述する。
ア 鳥取県大会(バスで) 宮崎~別府~門司~下関~青海島~湯之元温泉(早朝)~鳥取市(周辺見物)
イ 東京大会 宮崎~東京(明治神宮が会場、周辺見学)
ウ 青森大会 宮崎港(フェリー)~川崎港(バス)~鬼怒川温泉若松~青森(秋田、竿灯跡外見物)
②傷痍軍人会関係
ア 高知県大会 宮崎(乗り物不明)~高知市~松山~大洲市~宿毛港~佐伯港~宮崎
③その他
ア 中西老人会 宮崎~別府(宿)~宇佐神宮~竹田市~宮崎
イ グループ名? 宮崎~尾道~今治~小豆島(24の瞳学校)~宮崎
ウ もぐさ販売
・宮崎~岡山~広島方面
・八戸市(青森県)~埼玉県~東京~宮崎
*記録の無い旅(黒部ダムに2回)
① 宮崎~名古屋~高山市~黒部ダム~松本市~長野市~真田幸村の生家~草津温泉~天童市~羽田~宮崎
② 宮崎(フェリー)~川崎(バス)~鬼怒川温泉~会津若松市~黒部ダム~金沢(棚田)~石川県~安宅関(弁慶)~宮崎
② 海外(夫婦)
(概要のみ記述する)
(1)シンガポール・香港の旅(福岡身障者協会)
昭和60年3月16日~19日(4日間)
宮崎~福岡~シンガポール(各所見物、買い物)~香港(夜景外)~宮崎
(2)ヨーロッパ魅惑の旅(宮交)
昭和62年1月1日~9日(9日間)(費用約70万)
宮崎~鹿児島~羽田~アンカレッジ~コペンハーゲン~ローマ(ローマ市内観光)~パリ(市内観光、ベルサイユ宮殿外)~ベルギー、ブリュッセル(車中で昼食時面白い逸話がある)~パリ(自由行動)~ロンドン空港~モスクワ空港(警備の兵が銃を持っていたこと)~福岡~鹿児島~宮崎
*初めてのヨーロッパ旅行で背広にネクタイ、山高帽を被っての服装の出立だった
(3)インド・ネパール・香港の旅(宮日に大きく掲載される)
平成元年2月8日~20日(13日間、宮日新聞社、旅費約50万)
宮崎~香港~ボンベイ(ヨガ道場外)~アジャンタ(インド北部)~フンベルフォート(4日目、山の中に宮殿)~タージマハール(5日目、世界最大の大理石王朝建築物)~ぺナレス(6日目、ガンジス川、仏教の教え)~カトマンズ(7,8日目、ネパールの首都)~ポカラ(ヒマラヤ山遠景)~ニューデリー(9,10日目、牛がノサボリ歩いていた)~香港(11日目、夜景外)~九龍香港~鹿児島~宮崎(13日目)
(4)タイ三大王朝を訪ねて
平成2年1月21日~25日(5日間)
宮崎~大阪~バンコク(メコン川の水上マーケットで買い物外)~チェンマイ~ビサヌローク(365Kmの行程、高原、樹林ありで、野生動物が出て来そうな風景)~アユタヤ(木製の巨大な寝殿、山田長政の遺跡、仏教寺院外)~バンコク(チャクリ宮殿外)~大阪~宮崎
(5)花の慶州、釜山訪問の旅(宮崎県・慶州との盟約記念ツアー)
平成3年4月9日~12日(4日間)
宮崎~福岡~釜山~慶州(市内観光)~釜山滞在(市場盛大)~福岡~宮崎
(6)中国東北の旅(祐徳観光)
平成3年6月12日~19日(8日間)
宮崎~福岡~大連~北京~ハルピン(大きな大草原)~ハイラル(デパートでのトイレが昔の日本の便所のようであった)汽車~満州里(午後10時頃まで明るい、ソ連領が見えた)~内蒙古へバスで包(パオ)を見に行く(衣装、羊の解体等)~満州里~の記憶があるが帰路に着く~宮崎
(7)マレー半島縦断6日間の旅(西日本新聞社)
平成4年7月19日~24日
宮崎~福岡~クアラルンプール滞在(果物のビーチと焼肉)~マラッカ(密林)~ジョホール(サルフン宮、寺院等)~シンガポール(熱帯植物園、マントフェ-バー等)~福岡~宮崎
(8)ハワイ6日間の旅(憲介と二人、英語が目的)宮崎交通
平成6年8月5日~10日(6日間)
宮崎~福岡~ホノルル(滞在)自由行動(オプション)
2日目~4日目(滞在)この間、ホテルからワイキキの浜までパンツ1枚でいけるホテルだった。釣りをする予定であったが場所を散見しただけ。マーケッティング専門のアラモアナに行ったが広大な設備であった。往復バスを利用したがステーションに苦労した。
(9)オーストラリア、シドニーの旅(剛正、暁文と3人)
平成8年3月22日~27日(6日間)
山田家~福岡~ブリスベーン(現地ガイドがいたが結局我々3人の旅であった)~ゴールドコースト(コアラを見る)~ブリスベーン
(チャイナタウン市、ホテルで老婦人にシガレットを貰う。英語が話せず食事にも困ったり、デパートでアロハを買う)~シドニー(オペラハウス、ハーバーブリッジ等~ケアンズ~シドニー~福岡
(10)台湾ツアー
平成8年9月27日~30日(4日間)
台北~台南等行った記憶はあるが日程表等が無いため記述できず。
(11)日中国際交流友好の翼(NTTグループ九州退職者会)
平成9年11月1日~6日(6日間)
福岡~天津~北京(万里の長城)~西安(兵馬俑博物館、始皇帝陵外)~上海~北京(願和園、天安門、故宮など)~蘇州(寒山寺)~上海~福岡
(12)カナディアンロッキーとニューヨーク、ラスベガス10日間の旅
(宮交)平成10年5月24日~6月2日
宮崎~関西空港~シアトル~カルガリー(バス)~レイクルーズ(カナディアンロッキー、氷河観光)~バンフ(宿)バッファロー~ニューヨーク(自由の女神、セントラルパーク外、宿)~ラスベガス(賭博場外、宿)~グランドキャニオン~ラスベガス~シアトル~関西~宮崎
(13)上海・杭州・南京・無錫の旅
平成12年6月11日~15日(5日間)
福岡~上海~杭州(バス、西湖遊覧)~蘇州(寒山寺、中国版ビサの斜塔・虎丘斜塔等)~南京(明考陵、長江大橋、重信兄が南京攻略に行ったことを思い出す)~無錫(五大淡水湖)~上海~福岡
(14)昆明~石林~桂林の旅(阪急交通)
平成10年1月8日~12日(5日間)
福岡~桂林(左右に広がる奇岩、奇山、正に山水画の世界)~昆明
(海抜2000mあり呼吸困難、円通寺、西寺塔、東寺塔等)~桂林~福岡
(15)宮崎電友会・ソウル充実3日間
宮崎~ソウル(市内観光)~滞在(自由の橋、石焼ビビンバなど)~キムチと買い物等をして空港~宮崎
*以上15回の海外旅行であったが、いずれも感慨深いものがある。
旅行は若いうちに行った方が良い。
末寿に当り
平成23年10月1日
下村 光次 記