【宮崎県 都城】FPオフィス・ヒガシ/地中海クルージング紀行3

マセナ広場からバスで、マルク・シャガール美術館に向かいました。ニースの街の高台に位置し、自身が設計したという、緑の庭園に囲まれた白亜の美術館があります。南仏をこよなく愛した『シャガール』が晩年86歳で開館したという館内には、作品450点以上が展示され、特に宗教画が多く展示され、巨大な壁画タイルや、シャガール・ブルーと言われる、ステンドグラスの花が美しく、見る人々を魅了してくれます。
『シャガール』と言えば、パリ・オペラ座の天井画があまりに有名ですが、1960年当時,文科大臣であつた、アンドレ・マルローと親交があったシャガールに依頼があり、1964年に完成されたとあります。

ニースの旧市街地、サレヤ広場に向かうと、毎朝、花や野菜、陶器類、書画骨董が所狭しと並べられる朝市が開催され、多くの観光客で賑わっていました。
通りの両サイドには、様々なテーブルが並べられ、思い思いに食事したり、ワインやビールを呑む光景が、ここ南仏高級リゾート地『ニース』でみなれ、リッチな気分になります。改めて、地中海気候の乾燥した空気、容赦のないまばゆい陽差し、水色の海岸、群青色の空、いろんな国の言葉が飛び交い、国際色ゆたかなリゾート地なのです。早速、洒落た白いテラスで、ニース風サラダにエビ(ロブスター)を堪能しました。

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3日目の寄港地は『リボルノ』(イタリア)でした。
『リボルノ』はイタリア中部トスカーナ州の玄関口にあり、フィレンツエのメディチ家により商業港として開発され、繁栄した街です。現在はNATOの重要な軍港として、またイタリア海軍学校の本拠地でもあります。ここからバスで1.5時間かけて、花の都『フィレンツエ』到着です。

ルネサンス発祥の地『フィレンツエ』は、街全体が世界遺産に指定されているため、大聖堂や洗礼堂、鐘楼、美術館、ダビィデ像などなど、重要な世界文化遺産を保存するため、道路1本、拡張や新設もままならず、14世紀から今日に至るまで、学芸の都として守り続けらられています。『再生・復活』を意味する、ルネッサンスは14~16世紀、ここを中心に興った学問・芸術・文化の大革新運動でした。

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その特徴はローマ・ギリシャ時代の古典文化の復興、科学への取り組み、そして人間性の尊重・個性の解放でした。
1400からなる王国の集合体であったイタリアが今年統一されて、151年目を向かえるそうですがイタリア語の標準語として模範にされたのがなんとフィレンツエで使われていた言葉だったそうです。
『フィレンツエ』と密切な関係にあるのがメディチ家との関わりです。封建社会の崩壊により金融業などで巨万の富を築いたメディチ家は、教皇・トスカーナ大公・フランス王妃など等、次々と輩出しヨーロッパの聖俗の両世界に君臨したのです。

1434年にフィレンツエの実権を握った『コジモ・デ・メディチ』(1389~1464年)はルネサンス初期の重要なパトロンであり、フイリッポ・リッピ・ドナテツロなどらを庇護し、プラトン・アカデミーを築き、プラトンの著作の翻訳を行わせました。

その孫になる『ロレンツォ』(1449~1492年)は、政治思想家の『マキャヴェッリ』によって『あらゆる君主の中で、文学・芸術の最大の庇護者』と称され、自らも優れた詩を残しています。
ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどが、彼の庇護の下で活躍し、イタリア・ルネサンス最後の巨人と言われた、『ミケランジェロ』は14歳の頃、ロレンツォに才能を見出され、彼の学校に通い多くの芸術家と交流し、影響を受けてその並外れた才能を開花されたと言われます。
メディチ家は、芸術の擁護者として、ルネサンス躍進の大きな推進力となったのです。

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